【人生100年時代を楽しむために、知っておきたい日本の歴史】「土屋惣蔵昌恒」千の命を道連れに。武田家滅亡と土屋惣蔵の片手千人斬り伝説(1)

人生100年時代。シニアの皆さまでも、知らないことや新たな発見が日々たくさんあることでしょう。 そこで今回は、意外と知られていないおすすめの日本史をご紹介したいと思います。   「武田家滅亡の道連れは千の命」――武田信玄で知られる甲斐の武田氏に仕え、最期の最期まで主君を守り、戦い抜いた土屋惣蔵昌恒(つちやそうぞうまさつね)。 その身は武田家と共に滅び去っても、その忠義、その武勇、その勇姿は、今も語り継がれている。敵からも称賛された惣蔵の「片手千人斬り」の活躍やいかに!
2019/03/25

武田家最後の忠臣・土屋惣蔵

土屋惣蔵片手千人斬りの碑(撮影・清之介)

滅亡という言葉には、そこはかとないロマンが漂う。とりわけ栄華を極めた一族の滅亡は、その栄光が輝かしければ輝かしいほど、その末路が悲劇であればあるほど、人々の心を揺さぶるものだ。

 

武田信玄で有名な甲斐武田氏も、まばゆい栄光と悲惨な没落の末に滅び去り、人々の胸に哀惜の念を刻み込んだ一族である。

 

武田氏の滅亡に関しては、学術書なら平山優先生『武田氏滅亡』、丸島和洋先生の『武田勝頼 試される戦国大名の「器量」』、小説なら伊東潤先生『武田家滅亡』などの名著が刊行されている。

 

詳しくはそちらを参照して頂くとして、ここでは主君を最期の最期まで守り、武田家と共に散った土屋惣蔵昌恒(以後、土屋惣蔵と表記)の片手千人斬りの伝説と、その栄誉を語らせて頂きたい。

 

では、土屋惣蔵とは、どのような人物だったのだろうか。

惣蔵、長篠の戦いで、兄と養父を失う

土屋惣蔵は、信玄の息子・武田勝頼の側近である。

土屋惣蔵といっても、生まれは土屋家ではない。武田家の重臣・金丸筑前守虎義の五男として誕生した。

なぜ、金丸氏に生まれた惣蔵が土屋姓を称したかのか。

 

それは、惣蔵が15歳の時、武田水軍の海賊衆・土屋貞綱(さだつな)(旧名・岡部忠兵衛)の養子となったからだ。貞綱は武田水軍の重要人物で、一説によると、惣蔵の初陣での活躍を目の当りにして、信玄に「養子に貰いたい」と申し出たという。

 

惣蔵の兄・土屋右衛門尉昌続(まさつぐ)(虎義の二男)も「土屋」を姓としている。

 

だが、こちらは、武田家に代々仕えながら、断絶してしまった名門土屋氏の「土屋」だ。永禄4年(1561)の川中島の合戦の戦功により、土屋氏の名跡を与えられたと伝わる。

 

昌続は、武田信玄の側近で、信玄からも厚い信頼を寄せられていた。

 

なんとも頼もしい養父と実兄をもっていた惣蔵だが、天正3年(1575)5月に起きた合戦で、惣蔵は二人を同時に失うことになる。

 

その合戦とは、織田信長の「馬防柵」で知られる「長篠の戦い」だ。

 

勝頼率いる武田軍と、徳川・織田連合軍が激突したこの合戦は、ご存じの通り、武田軍の大敗で終わった。

 

この戦いで貞綱、昌続ともに討死にした。養父と実兄を失った惣蔵は、まだ20歳であった。

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