【毎分10万文字・誰でもできる速読脳トレーニング】9.速読脳開発プログラムの原理は、1人の天才研究者が見出した

アメリカ式速読法の原理は「認知スパンの拡大」だと述べましたが、「速読脳開発プログラム」の原理は、真似た表現でいうならば、「認知能力の拡大」です。「認知能力の拡大」のなかには、もちろん「認知スパンの超拡大」を含んでいます。しかし、その原理は、アメリカ式速読法の延長上に生まれたものではありません。欧米の100年近い読書心理学の研究結果を踏まえていますが、実は、研究者個人の体験がきっかけとなっています。
2020/03/25

ソウル大学校・朴鏵燁教授

その研究者とは、当時、ソウル大学校師範大学教育研究所で専任講師をしていた、朴鏵燁(パク ファーヨゥプ)教授です。朴教授は、1976年12月に、最初の論文「読書能力養成のための実験研究」を発表しました。

 

題名に使われている言葉が「読書能力養成」であって、「速読力養成」でないことに注目しておいていただきたいと思います。

きっかけは兵役による知力の低下だった

パク教授は一九六四年、ソウル大学校に入学します。

 

研究のきっかけは、入学してすぐに課せられた30ヶ月に及ぶ義務兵役でした。

 

韓国では、当時も今も徴兵制度があります。

 

兵役を終えて大学に戻ったとき、体力は向上しているにもかかわらず、英語の「teacher」というスペルさえ思い出せなくなっていました。頭が冴えず、授業にもついていけず、深く落ち込んでしまいました。

 

その様子を見ていたアメリカ留学から帰ってきたばかりのある教授が、「もっと速く読むようにしなさい。

 

速く読めば、速く理解でき、頭が冴えてくる。」と速読することを勧めてくれました。

 

具体的な方法は教えてもらえませんでしたが、朴先生は、藁にもすがる思いで、とにかく実行することにしました。

 

当時、韓国には、駐留米軍がたくさんおりましたので、古本屋には、「ニューズウィーク」や「タイム」「ライフ」などの英文雑誌が、たくさんあり、きわめて安く売られていました。

 

彼は、早速高さ三〇センチほどの束を買い込んできて、一生懸命読んでいきました。

 

英語のスペルを思い出せないことがショックでしたから、英語で始めたわけですが、それを速く読むわけですから、内容を取れるわけがありません。

 

しかし、それを毎晩繰り返していると、三、四ヶ月経った頃、少し読書速度が速くなったのを感じました。

 

一九六七年のことです。

 

彼は、その変化にとても興味を覚えました。そこで、今度は、雑誌ではなく、本でやってみることにしました。

 

字面をなぞるだけだとしても、週刊誌よりは、学術書の方が勉強に役立つのではないかと思ったからです。

 

図書館から厚めの英文書を借りてきて、理解を取らずに、文字を追う読み方で読んでいきました。

 

このようにして、一年間で、五〇〇冊の本を読みました。

図書館の書庫に専用の席を得る

この頃、毎日図書館に通って英文書を借りる学生に図書館長が興味を持ちました。朴教授の話を聞き、「それなら、図書館の書庫に、専用の机と椅子を用意してあげるから、自由にやりなさい」と、特別の配慮をしてくれました。朴先生は、棚の端から、順に、本を片端から読んでいきました。

この頃には、読むのも大分速くなっていて、一日で、自分の腰の高さまでの本を読めるようになっていました。図書館の事務員に、どうしてそんなに速く読めるのかと聞かれたこともあったそうです。とにかく、パク教授は面白くなって、読むのを続けていきました。ノートを作り、読んだ書名、年月日、ワンセンテンスぐらいの簡単な所感を書き付けていきました。

あるときは、眠くなりながらも読んでいきましたし、あるときは、意識がクリアな瞑想状態で読んでいったこともあったと言います。眠っているとき、文字がはっきり見えて理解している夢を見たこともありました。

この頃、面白い体験をしました。大学の授業のとき、教授が学生たちにある質問をしました。

 

難しい質問で、誰も答えられません。ところが、朴先生の脳裏には、その答が浮かんできて、答えると、正解であったというのです。

 

しかし、朴先生自身、なぜその質問に答えられるのか、どこでその知識を学んだのかまったく覚えがありません。

 

が、よく振り返ってみると、その質問のテーマについて、本を読んでいたのです。

 

理解しない読み方ですから、意識的には記憶に残っていなかったのですが、なぜか、潜在意識では記憶に残っていたというわけです。

 

このような体験が、朴教授をして、さらに速読の探求に駆り立てることになります。

 

このようにして、「図書館学」から「歴史」まで、三〇〇〇冊ほどの本を読み切りました。

 

大学三年の頃のことでした。

 

パク教授は、このような実験をさらに続けていきましたが、当時の栄養状態の悪さと本のホコリが原因で、結核にかかってしまいます。

 

治すのに3年かかりました。このような体験を経て、彼は、健康を害するような強引なやり方ではなく、合理的に本を速く読めるようになる方法を研究し始めたのです。

ソウル大学校師範大学主催で速読の実験授業が実施された

パク教授の研究は、先に述べた論文「読書能力養成のための実験研究」として結実し、さらに1978年5月には、最初の著書「読書能力を伸ばす実験読書方法」を発表します。

 

これらが非常に高く評価され、学生たちを相手に実験授業を行うことと勧められ、師範大学教育研究所主催として実施することが決まりました。

 

実験授業は、1979年5月14日から、募集に応えた40名の学生を対象に始められました。

 

そのときの様子が、6月4日発行の「大学新聞」(ソウル大学校学内新聞)に、「一分間に一万字を読む」という見出しで掲載されました。その記事を紹介すると、

 

「ソウル師範大学教育研究所(所長・鄭元植学長)主催により実施されている『読書能力開発プログラム』は、30余名の志願者を対象に始まった。

 

『視覚能力開発訓練』と『認知能力開発訓練』などを通じて、読書能力を最大限に向上させるものである。

 

実際に講座を受ける前の学生の平均読書速度は、1分間に964字にすぎなかったが、3週間の訓練後は、平均5,335字を超えた。

 

およそ、5.6倍も向上していた。

 

指導しているパク講師は、前もって用意した丸を矢印の指示通りに眼で読み進む訓練を受けると、自分の読書能力を最大限に開発できると言っている。」

 

欧米でも、日本でも読書能力を伸ばす確かな方法が知られていない時代に、韓国の中心大学の、しかも教育研究所で開催された授業の結果ですから、その信頼性は絶対的なものです。

 

ただちに大変な反響が湧き上がりました。

 

6月7日の東亜日報を皮切りに、新聞やテレビで次々と取り上げられました。3回目の開講時には、学外から応募してくる学生や教職員の希望者も出てきて、800名が集まりました。

 

「ある朝、私は突然有名人になっていた」と、パク教授は当時のことを思い出して、笑いながら話してくれました。

 

この実験授業は、1979年から81年半ばまで続けられました。

 

パク教授は求めに応じて、文字通り早朝から夜遅くまで授業を行い、体調を崩して授業の中止がやむを得なくなるまで続けました。合計およそ3千名の学生たちが「読書能力開発プログラム」を受講しました。

 

この間、速読をビジネスと捉える人が多く現れました。

 

パク教授の創案した訓練フォーマットの丸を四角などにしたり、矢印をただの直線にしたりしたフォーマットを用い、理論的には認知スパン拡大の理論を拡大解釈して、独自のものと称したものが数多く現れました。

 

当時韓国では、受験競争が過熱して事件が起きたため、「私塾令」という法律が作られ、生徒たちが学習塾に通うのが禁止されていました。そのため、成績が上がるとして知られた速読教室に生徒たちが集中したわけです。

 

しかし、にわか作りの速読教室がきちんとした教育を実施できるわけがありません。

 

1980年半ば頃からは、マスコミで問題が指摘されるようになってしまいました。

 

日本に最初に入ってきた「キム式速読法」も、その問題が指摘されたひとつですが、残念なことに、現在の日本の速読法の多くは、このキム式をもとに作られています。

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