速読も、飛ばして読んでも、逐一読んでも、読む目的が達せられれば、「速読」という言葉の使い方として正しいわけです。
速読という言葉を国語辞典で引くと、
①本などを速く読むこと、
②拾い読みや飛ばし読みのこと、
とありますから、自分なりに速く読みさえすれば、すべて速読です。
実は、速読という言葉が辞書に載ったのは、ごく最近のこと。
私が速読教室を開いた頃は、辞書に載っていませんでした。速読を訓読すると「速く読む」で、誰でも意味が分かりますから、辞書に載せる必要はなかったのだと思います。
しかも、速く読むためには、拾い読みや飛ばし読みなどをする以外に方法がありませんでしたから、内容を誤解することもありません。
ですから、辞書に載せる必要もないほど、分かりやすい言葉だったのです。
しかし、拾い読みや飛ばし読み(部分読みと言います)と、順に全部の文字を読む(全体読みと言います)のでは、内容を正確に読み取れるかどうかという点で、まったく異なります。
小説を読むのに、拾い読みや飛ばし読みでは、楽しむことも味わうこともできないですよね。
ですから、学校では全体読みしか教えないわけです。
一方ビジネスの世界では、拾い読みや飛ばし読みが役立ちます。
内容や形式が決まった文書では、ポイントだけ読み取るだけでいいからです。
ですから、企業研修のときに尋ねてみると、必ず、拾い読み飛ばし読みの研修だと思って参加している方がおられます。
このように、従来「速読」とは、拾い読み飛ばし読みのことであって、そもそも、全部の文字を順に読んでいく「速読」というのは存在しなかったのです。
学問的には、1976年に、すべての文字を読んでいく「速読」が世に出現しました。
その結果、読み方も理解の程度も異なる2種類の読みが、いずれも「速読」という言葉で表現されるようになってしまいました。
これが、多くの皆さんが、速読について曖昧だという印象を持つ第一の理由なのです。