【凛と輝く魅力学】知識・知恵のシャワーを浴びる(人生100年時代協議会・AGE100PRESS)

2019/12/02

『知性』とは

知性とは、人間の理想である「真」「善」「美」(哲学者プラトンの言葉と言われている)の三つの大きな価値観で物事を考え理解し判断する能力です。

 

感情や感覚により得られた素材を整理、統一しながら新たな知識を積み上げていく精神的な働きのことです。

 

この知性を磨くには、私が提唱している『感情浴』が必要です。

書籍『美しく華やかに確実に「成功と幸せ」を勝ちとる凛と輝く魅力学』

『感情浴』とは

感情浴とは、さまざまなカルチャー(文化的、教養)に触れることで感情が揺さぶられたり感動する心の動きです。

 

例えば、素晴らしい芝居の観劇、読書、映画、絵画や彫刻、オペラ、邦楽、ロック、演歌、シャンソン、クラシック、童謡、ジャズ等を聴く。

 

また、各種スポーツの試合を観戦する。

 

こうした文化的教養から、カルチャーショックに触れる体験をしたとき、私たちは、あるときは笑いころげ、またあるときには涙を流し、深く思い、考えさせられます。

 

こうしたさまざまな感情の刺激により、自分の身内に活力が沸くのを感じとることができます。

 

このように《感情とは》、外からの刺激に反応して起こる心の変化です。

 

感情移入とは、自分の感情を投げ入れ、表現している感情、動作、作用などを、しっかりとつかもうとする働きです。

 

感情の刺激を積極的に浴びることを魅力学では『感情浴』と言います。

『感情浴』の力

私は中学時代から高校卒業まで、女優志願でありました。学校の演劇クラブでは物足らず、劇団に入団します。

 

子供のときから劇団にいたのですが、高校時代に、赤坂にある母校の山脇学園の近くに劇団ができ、募集に応じ入団しました。

 

私の日課は、ジャズ、タップ、モダンバレエ、ジャズダンス、日本舞踊、三味線と、学業より習い事に追われ、学業の成績は、親もしょげかえるほどひどいものでした。

 

その頃の私には、学業よりも演劇が生きる目的でした。

 

高校卒業と同時に俳優座を受けるつもりでしたので、相変わらず、習い事に精を出し頑張っていました。

 

その頑張りは、稽古所に行ったときだけではありません。

 

登校前に家でタップを踏み、寝る前にもガンガンと踏み鳴らし、バレエの基礎をキッチンで行い、母の目の前で日舞を舞い、三味線の練習をすると、それはストイックなほどでした。

 

しかし結果的に青春期の私は、大きな挫折感に打ちのめされることになったのです。

 

それは、まず顔中にできた吹き出物でした。それまでの私の顔はツルンと卵のむきみのようだと言われ自慢の肌だったのです。

 

それが、顔中、真っ赤な発疹に覆われたショックは、女優を断念するほどに、私の持っていたいささか思いあがった自信を打ちのめしました。

 

何時間も鏡の前に座り込み、醜く赤らんだ顔を前に、絶望的な気持ちになり、何をやる気も失せていき、気力の萎えが体にも出て、神経症的な様相を示し、医者通いの日々が続いたのでした。

 

いくら若いとはいえ、気がつかないうちに、自分の体力の限界を越えた生活をしていたのです。そんな娘を救ってくれたのが母でした。

 

母は「あなたの人生の目的は、女優になることだけではないと思うわ。

 

ほかにもあなたの才能はあるはずよ」と、親の身びいきの慰めもあったでしょう。

 

しかし、絶望的な死の淵から自力で立ち直った母の言葉には、前向きに生きなさいという説得力がありました。

 

この言葉に私は「自分には何ができるのか。自分をいかす生き方はなにか」と、私は自分の心に何度も問いかけました。

 

その答えを得るために、私はモーレツに本を読み、デパートで行われる展覧会に出掛け絵や彫刻、習字、陶器などを見て回り、芝居や映画、古典芸能、バレエ、ミュージカルも、以前のように学ぶ姿勢より、ただ楽しみたいという気持で接しました。

 

英語教室や、以前から習っていた生け花や、お茶、洋裁、料理など、いままで苦手だったものも挑戦しました。

 

そんな生活をすること半年、私の失われた元気は、こうしたカルチャーを通じ徐々に回復し、活力を取りもどしていったのです。

 

これが後年、『感情浴』という指導をすることに繋がりました。

脳力の不思議

音楽を聴いたり、楽器と触れ合ったりすることで脳血管性痴呆症の老人、障害のある子供の心を癒そうという《音楽療法が》医療福祉関係で注目を集め、その成果が発表されています。

 

脳の血流がよくなる方法のひとつとして、患者が幸せを感じとる音楽を利用することで、その成果を上げていきます。

 

ほとんど無表情で、いつもひとりでぼんやりしていたのが、いつの間にか集団の中に入り、少しずつ身の回りのこともできるようになったということです。

 

脳は、多くの人に接し、情報を取り入れ、刺激を受けることで、感性も豊かになり感情も動きます。

 

もちろん脳は、人に接するだけで働いているわけではありません。

 

日常的な思考をとらえて活発に働いています。

 

しかし人間が生きている間に使う脳力など、そのキャパのほんの僅か数パーセントに過ぎないのです。

 

そんなことを言うと、「冗談じゃない、私は会社で脳力をフル全開して使っている。

 

もうこれ以上使うのはただ疲れるだけだ」という方もいるでしょう。それは脳の使い方が、同じ思考回路ばかりを使っている結果の疲労なのです。

 

脳全体を疲れさせるほどには使っていないのです。

 

脳波を調べますと脳が使われているベーター波は、常に左脳が中心です。これは『言語』『計算』『論理』を扱っているのです。

 

こちらの脳は確かに疲れ気味かもしれません。

 

これは私たちが、言葉を中心に生活していることを示しているわけです。

 

しかし反面、右脳の働きである『直感』や『ひらめき』のほうの使用頻度は低いのです。

 

脳というのは少しぐらい障害があっても使えば働き出す力を持って回復する可能性があるのです。

 

反対に障害がなくても片寄った使い方ばかりをしているとドンドン衰え、無感動無表情の生きていても死んだ人のごとく冷たく魅力のない顔になってしまうのです。

脳力の活性化が能力を開発する

インターネットが普及した昨今は、いままで自分で動かなければ知らなかった情報が、キーボードを叩くだけで簡単に手に入るようになりました。そうした状態は、私たちが自発的に脳を使うことを怠るようになる傾向も招きます。左脳のみを情報の収集、整理で酷使しているのです。そのために、それ以外の脳の鍛え方が不足するのです。

 

情報を受け取るのには慣れても、集中力、注意力、創造力、記憶力といった人間の本来備わっている力が、どんどん退化していってしまうのです。それだけではありません。体の感覚器官のトレーニング不足が、運動神経や感覚神経の劣化を促進し、体をドンドン錆びつかせ、物忘れやボケ症状が早く出て、老化も促進されます。

 

「老人力」という言葉が大流行したときがありました。自然にボケたりすることなどに目くじら立てず、こだわらずにゆっくり静かに思考し、老いの持つ余裕とゆとりを味わう。そうした目で人生を見直してみると、今まで見えなかったこと、分からなかったことが、違う角度から新しく発見することもできるということです。

 

それはそれで良い境地かもしれません。そうなったときには、ドーンと腹を据えて「老人力」に身を委ねるのもひとつの生き方です。しかし、自分で積極的に脳力を使うことで、自分の中に眠る思いがけない能力に出会え開発されるのなら、それは生きるうえでの知恵だし楽しくもあります。長い人生を芒洋と生きることで締めくくるのは、たった一度の人生なのに惜しいと私は思います。

まして、働き盛りの三十代から五十代の人たちが、片寄った脳力の使い方で、早くからボケ老人化するのも医療費の面から考えても深刻な大問題です。体だって余分な脂肪がつくことを防ぎ、筋肉を鍛えることは六〇歳、七〇歳からでも可能なのです。

 

それと同じようにバランスよく脳を使うことで、イキイキと自分らしい人生を送れるのであれば、未使用の脳は多いに使い鍛えるべきです。どっちにしても、左脳の疲れを休ませるには、反対の脳を使わなければならないのです。ただ単に何もしないでも脳の活動は続いているので、休むことにはならないのです。

 

音楽に限らずエンターテイメントは、左脳に片寄りがちな右脳に刺激を与え、スイッチを入れる役割ができるのです。右脳が活動をしている脳は、例えば音楽を聴くことで、積極的に左脳を休ませることができるのです。老人の痴呆症、障害者に効果があるのは、言語ではなく感性を刺激して脳の働きを高めているわけです。

 

脳はすでに十代後半から退化が始まるのです。今まで使わなかった脳の領域を積極的に使えば、脳は確実に若返るのです。

 

最近の医学が解明したところでは、脳は年齢とともに、機能が衰えていくと考えられていましたが、実際は脳の機能は年齢より個人差が大きいと分かってきたのです。アメリカの保険研究所のデータでも、二〇歳と八〇歳の脳もその代謝機能ではほとんど差がないことが判明しています。

ガリレオ・ガリレイが最後の天文学上の発見をしたのは七三歳でした。トルストイは、七七歳で「壷のアリョーシャ」を書き上げました。バートランド、ラッセルは九七歳で自叙伝を出版しました。高齢で素晴らしい業績を上げた人はたくさんいます。日本にも驚くべき方がおられます。

 

実は私には、この偉大なる日本画壇の重鎮である女史には、陰ながら深い思い入れがあるのです。私が魅力学でデビューしマスコミに注目された若い頃、雑誌〝女性自身〟が〝チャモ博士〟と取り上げてくれました。そのときに、小倉遊亀女史が描かれた、日本画とは思えない筆致で描かれた、モダンで大らかな女性像を、私になぞらえて記事が書かれたのです。

つまり、小倉遊亀女史の描かれた新しい女性像と、新しい職業である魅力学を提唱したキャリアウーマンの私を対にして称賛していただいた栄を受けたということです。その大先輩の、年齢を超えたお元気さに、心からの敬意を送り、是非とも後に続きたいと感慨を込めて思ったものです。

もうひとりの自分との出会い

『感情浴』とは、「右脳」「左脳」をバランスよく働かせ、自分の感情を豊かに磨くことです。

 

人間はいくつになっても夢を持って生きていたい願望があり、現実の生活で満たされないものをカルチャーに求めます。

 

前述の芝居や、その他の芸術やスポーツを目で見て聞いて感動に浸ることは、夢やロマンスに憧れる感動を満足させてくれるのです。

 

 

左脳が生活上必要なことに使用されることが多く、右脳がイメージを描くという働きをすることから考えると、右脳を刺激するには、このように日常と離れた夢やロマンを持てる世界に、自分を置くのが大切脳の働きにつながることが分かると思います。

 

カラオケブームは過ぎましたが、いまでは人が集い、飲み食べる空間におかれたあるべきものとして設置されています。

 

この現象は、他人が演じるのを、見る、聴く、ただ参加する側ではなく、自分が見られたいという強い願望の表れです。

 

歌っている二分、三分の間は自分がスターの気分になれるのです。

 

テレビの視聴者参加に登場するのも、アマチュアの人たちが集まって、隠し芸大会的(芝居、踊り、大道芸、朗読、歌、バンド演奏、等々)なイベントを通じ、そこに自分が参加する理由は、自分の日常とは違う場所で、もうひとりの自分を表現したい願望の表れです。

 

脳力のバランスをとるには、これはとてもいいことです。

 

話下手な人が芝居の仲間に参加して、表現の仕方を学んだことで、日常的にもキチンと話せるようになりました。

 

フラメンコをカッコよく踊って見せるためにやせて、スタイルを整えたおかげで、心臓の負担になっていた高血圧の数値が下がった女性もいます。

 

そうしたもうひとりの自分との出会いには、趣味の世界も有効な力を持ちます。

 

俳句、習字、彫金、絵画、ギター、ともかく決まりきりマンネリ化した日常と違う自分に出会うことで、右脳が働き、その上達を通じ、隠された能力を開発(行動を通じ、評価を表す動き)できるのです。

 

『感情浴』は、いままで学んできた総仕上げです。多いに感情のシャワーを浴びることで活力ある人生を送りたいものです。

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