伊勢神宮だけではご利益半減!あの世とこの世の境目…朝熊岳金剛證寺に行こう(人生100年時代協議会・AGE100PRESS)

伊勢神宮といえば人生に一度は訪れたいスポット。赤福が手がけた「おかげ横丁」などの観光スポットも充実し、さらに2016年の伊勢志摩サミット開催地からも近く、旅行会社のツアーも充実しています。   しかし伊勢神宮の内宮・下宮を詣でただけでは本当に伊勢参りをしたことにはなりません。「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と言われるように、お伊勢参りの際には朝熊岳金剛證寺(こんごうしょうじ)にもお参りするのがセオリー。では金剛證寺とはどのようなお寺なのでしょうか?
2019/05/29

伊勢神宮の鬼門封じ

金剛證寺は伊勢神宮の北東にある朝熊岳に位置するお寺です。

 

山号は勝峰山、院号は兜率院と称します。伊勢神宮の「鬼門」を守る位置にあります。

 

創建は古く、欽明天皇の頃(6世紀)、暁台上人(ぎょうだいしょうにん)によって開かれました。

 

その後、仏教界のスーパーヒーロー・弘法大師空海より、真言密教の道場場として隆盛を極めました。空海の時代以降はしばらく無住でしたが、室町時代に再興され、現在は臨済宗に改められました。

日本三大虚空蔵菩薩がある

金剛證寺のご本尊は「福威智満虚空蔵大菩薩」。

 

日本三大虚空蔵菩薩の第1位に位置付けられています。

 

虚空蔵菩薩は福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様。秘仏になっており、伊勢神宮の式年遷宮に当たる年に御開帳となります。

 

つまり20年に1度しか見られないのです。

弘法大師が造った連珠池

まずお目見えするのは山門となる仁王門。シンプルで落ち着いた雰囲気の山門を抜けると……

朱塗りの太鼓橋が印象的な庭が広がっています。こちらは弘法大師が造園したといわれている連珠池です。

 

太鼓橋は聖地と俗界との結界となっており、池の向こう岸に建つ御堂は「雨宝堂(うほうどう)」と呼ばれ、神仏習合思想の神様である雨宝童子尊を祀っています。

 

これは大日如来の16歳の御姿を弘法大師が刻まれたものだと伝えられており、国の重要文化財にもなっています。

こちらは敷地内にある矢負地蔵尊。

 

「生類憐みの令」で有名な徳川五代将軍綱吉公の母・桂昌院が寄進したもの。人の危難を救うことから矢負地蔵尊と呼ばれているのだとか。

 

ちなみに本堂も桂昌院が修復を加えています。

桃山時代を色濃く残す本堂・摩尼殿

金剛證寺の本堂・摩尼殿は度々の火災にあいましたが、棟札から慶長14年(1609)に姫路城主・池田輝政の寄進によって再建されたことが伝わっています。

 

シンプルな山門、風情ある庭を通った後に堂々とそびえる桃山時代の優美な様式。実にお見事です。

 

元禄14年(1701)に徳川綱吉の母・桂昌院によって修復され、重要文化財に指定されています。

本堂からしばらく歩いたところにある明星堂は明星天子を祀っています。

 

明星という文字の中に「日」「月」「星」があることから三光天子とも称され、金星の化身とも言われています。

 

虚空蔵菩薩の権化でもあり、伊勢神宮の鬼門除けとして鎮護しています。奥の院へと続く道すがら、ひっそりと佇んでいますが、こちらもしっかりお参りしましょう。

あの世とこの世の境界線。卒塔婆群の意味

さて、ここまでは金剛證寺の表側。

 

金剛證寺の見どころはこの先の奥の院にあります。明星堂をさらに進むと、異彩を放つ建物が見えてきます。

こちらは奥の院へと続く「極楽門」。金剛證寺では、極楽門の表側がこの世、裏側があの世であるとされています。

 

それゆえに、奥の院までの道は「あの世」の者と繋がる場所でもあるのです。勇気を振り絞ってくぐりますと……

そびえ立つ卒塔婆、卒塔婆、卒塔婆……! 大きいものは約8メートルもあるそうです。

ふつう卒塔婆といえばお墓の後ろにある細い板を想像しますが、こちらにある卒塔婆は「柱」に近い印象です。卒塔婆は「仏塔」という意味のサンスクリット語「ストゥーパ」が語源で、お釈迦様の遺骨を納めたが塔が起源となっています。

 

東寺などにみられる五重塔は卒塔婆の原型といわれています。金剛證寺の柱のような卒塔婆は、より原型に近いといえますね。

 

しかし道の両側を隙間なく埋め尽くした巨大な卒塔婆というのはかなり現実離れした光景です。

仏塔は五重塔となり、五重塔は五輪塔という形に変わっていきました。奥の院までの道では五輪塔も見ることができるので忘れずにチェックしましょう。

 

こちらは戦国時代に活躍した九鬼嘉隆(くきよしたか)の五輪塔です。

 

九鬼家は水軍を率いて織田信長や豊臣秀吉に仕えた戦国武将で、志摩国を支配しました。しかし天下分け目の関ヶ原の折、九鬼家は生き残りをかけて家を二つに分け、嘉隆は西軍に、息子の守隆は東軍に味方します。西軍の敗北により嘉隆は自刃。嘉隆の三男有慶は父の菩提を弔うため金剛證寺に出家し、金剛證寺第十二世となってこの供養塔を建てたそうです。

 

戦国時代を生き残るために奮闘した父子のドラマを感じますね。

さて、なぜ金剛證寺にはこのような卒塔婆群があるのでしょうか。

 

伊勢・志摩地方のでは朝熊山に詣でることを「岳参り」といい、朝熊山には人の霊魂が集まると言われてきました。朝倉山に留まった霊魂は一定の期間を経て先祖となるため、その間に遺族たちは立派な卒塔婆を立て、亡くった方を供養をしているのです。

 

霊魂と言われるとちょっと怖いイメージですが、霊感のない筆者は卒塔婆の圧を感じつつも、すがすがしく静かで穏やかな時間が漂っていると感じました。それはそれぞれの遺族の、故人に対する親愛の気持ちがこの空間を形成しているからなのではないかと思うのです。

 

遺族たちはこのあの世とこの世の境目で、亡き人とひとときの対話をしているのでしょう。ちょっとお邪魔しつつ、奥の院へと進みます。

終点、奥の院です。非常にシンプルで静かな雰囲気が漂っています。こちらにも御朱印がありますので、御朱印を集めている方はお忘れなきよう。

 

卒塔婆のサンプルもありました。最も大きいもので志納金50万円。これだけ大きくて倒れないように管理するとなると、やはりそれなりのお値段になりますね。

展望台からの眺めを堪能しよう

金剛證寺の非現実空間に浸ったついでに、伊勢志摩スカイラインからの絶景も堪能しましょう! こちらは山頂売店の朝熊茶屋から散歩道を進んだところにある勘吉台からの景色です。こちらも非現実的な空間ではないでしょうか。伊勢神宮を片参りするだけでは実にもったいない!

 

山頂広場で最もフォトジェニックなスポットといえばこちらの「天空のポスト」。

 

旧式のポストの形がレトロで素敵です。ここからラブレターを送るというアナログな方法が若者の間で話題なのだそうですが、長年連れ添った伴侶への感謝の手紙を送るのも風情があって良さそうです。

 

山頂広場と朝熊茶屋は隣接しており、売店や足湯も併設されています。絶景でしばしの疲れを癒し、伊勢神宮へと向かうのもよさそうです。

 

 

朝熊岳金剛證寺は伊勢市と鳥羽市間にまたがる朝熊山を通り抜ける「伊勢志摩スカイライン」(有料道路)を利用します。鳥羽市方面から金剛證寺、伊勢神宮のルートで詣でてもよし。伊勢神宮を詣でたのちに伊勢市側から金剛證寺を巡るもよし。

 

人生に一度は行きたい伊勢参り。余すところなく堪能し、そのご利益にあやかっていきましょう。

金剛證寺 地図